熱海散策 2
お寿司の後は、ほろ酔いで散策。
温泉に、砂浜のある海に、美味い魚に、歴史ある街に、おまけに首都圏から近いとなれば、観光地としてはポテンシャルの高いはずの熱海ですが、バブル期の乱開発のおかげか、歩いていてかなしいレベルの廃れ具合です。
では、廃墟編。
廃墟も、街並みの変遷を物語るものとしては魅力的なこともありますが、その「退廃」自体を求めるのはなんか違うような気もして。でも熱海は廃墟だらけなのです。
ロープウェイの手前。地階は店舗、上は住居、だったのでしょうか。
旧・熱海海浜ホテル。解体中…といっても何年かけるつもりなんだ。廃業後ほったらかしで、崩落しかかったところに解体工事をはじめたようなのだが、去年訪れたときからほとんど進んでないような気がする。
これもなかなかひどいよなあ。
海岸線沿い。ホテル廃墟だったところを、不動産開発のゼファーが買い取って再開発しようとしたらこっちも倒産しちゃいました、という目も当てられない現実。この隣には(永遠に?)未完成の商業施設も。
お化け出そう…
踏ん張ってるホテルや住居はいいとしても、廃墟化するばかりの遊休不動産やら空き家は、せめて解体するだけのインセンティブをつけなければ、ゴーストタウンまっしぐらではないか…山側の部屋付き露天風呂の旅館に篭って、オーシャンビューを眺めるだけなら見ずに済むからいいのかな…リゾートマンション売るならもうちょっと景観をどうにかした方がよさそうだけどな…
あっちもこっちも廃墟で、大型旅館が生き残ってると思えば伊藤園ホテル。中国資本に乗っ取られないと良いなあ(白目)
海岸の景色は文句なしに素晴らしいです。
こまごましたものたち
ストリップ劇場
すごいオーラを放っていたソープランド
タイルと装飾が怪しい感じ
かわいい感じのビル
これもかわいい
渚町
怪しいタイルの時計屋さん 転業?
熱海散策 1
熱い海 と書いて あたみ。
湧き出た湯がそのまま海に流れ込むこの土地にはぴったりでわかりやすくて、いいなあ、熱海。
一年ほど前に初めて温泉旅行で訪れた際には、あまりの寂れ具合にショックを受けたのだが、今回はその街並みを目当てに。
熱海はとても古い温泉地らしく、平安末期には集落があったとか、徳川家康が湯治にきたとか言われている。
山に囲まれ、海岸線が近く、川が三本。独特の地形ですが、昔から変わってないみたい。(地図下部のでっぱりは埋立地ですね)
戦後〜バブル期に栄えたであろう繁華街は、海岸近くの渚町、国道を挟んだ銀座町と中央町である。
ちなみに地図右下の端あたりからロープウェイに乗ると秘宝館と熱海城。
JR熱海駅を降りて、仲見世を降りていく。熱海で観光客がわさわさしてるのはここだけと言っていい。
あちこちにかなり古いと思われるビルがゴロゴロしていて、しかも熱海の急な坂道にへばりつくように建っている。どこも二階以上が今も使われているかどうか、怪しいけど…
商店街の途中、道にめっちゃからすみ干されててワロタ。豪快。
この眺めすごく熱海っぽいのに、老朽化したニューフジヤホテルの建物がなかなか。現在の経営は伊藤園…伊藤園といい大江戸温泉といい、歴史ある温泉街のはずが気づいたら外資ばかりという。そのまま廃墟化するよりはマシか…。
中央町から見ようと思っていたため、熱海銀座は一旦スルーして進む。銀座町のあたりは割と道が広く、ひらけて見えるのだが…
糸川べり
川を越えると、中央町に突入。赤線があったというところ。
寂れたとか、荒んだといった雰囲気を通り越して、街としては生気がありません。荒れているわけではなく、もう普通の住宅なんでしょうね。
カフェー建築って装飾が凝ったものが沢山ありますけど、当時の印象はどんなものだったのでしょうか。ラブホテルの珍建築とメンタリティは同じなのかな…
千笑さんには会えませんでした。熱海に限らず、ここ数年で解体されてしまったものってすごく多いのかもしれない。思い立ったが吉日である。
ぽっかり。
ここが歓楽街だったことを確かに物語っている、ラブホテルの跡。
日が暮れても誰もいませんでした。
この配車センターを見たとき「は?!?」ってなりました。一階をぶち抜いたのでしょうか。なんなのでしょう。
この先に寿司孝さんがあります。大将はぱつきんバンドマンです。気取らないまちのお寿司やさんですが、コスパよし味よし人柄よし、握りのコースなのに小鉢とか出てきます。たのしい。
応援する気持ちをこめて、ご紹介。
続
地形散歩 まちのなかの珈琲
こんにちは、みじんこ(@sakuraman__ )です。
お題をもらって文章を書くのは初めてかも。どきどき。
この記事はコーヒー Advent Calendar 2016 24日目です。
業界の片隅で、そろそろ一年が経とうというところ。
最近好きなのは、エチオピアイルガチェフェ×シティロースト×フリーウォッシュト。飲み込んだときのナッティーな香りがたまらん。常に買えるところがあればいいのに。
最近あまり、モカ、って呼ばないロースターが増えているような。エチオピアとイエメンのコーヒーを指すわけなのですが、イエメンにあるモカ港が由来です。
遥か昔、15〜17世紀。というと、コロンブスがどんぶらこしていた大航海時代です。モカ港はその時代に栄えた港であります。
だから21世紀の日本でモカがモカって呼ばれてるの、ロマンがありませんか。
モカ港はもうとっくに、コーヒー貿易の拠点からは引退しています。19世紀には廃港同然の様だったとか。今も、廃墟となった当時の商館が残されているようです。たまらん。
イエメンのマタリも、ちょと渋いような甘いような、でもスパイシーな、いいコーヒーなんですけどね。内戦とISテロで、目も当てられない惨状のイエメン…マタリも高騰がすごいですね。イエメンに平和が訪れますように。
さて、2016年は徘徊の一年でございました。
街歩きとコーヒーは切っても切れない関係なのです。喫茶にいけば暗渠にあたり、散歩にいけばコーヒー屋をみつけてしまうのです。神奈川編でいってみましょ。
北鎌倉・石かわ珈琲 (横須賀線北鎌倉駅)
明治時代、政府が横須賀軍港への陸路整備を急いでいたために、横須賀線は円覚寺境内をぶった斬るかたちで敷設されました。線路の反対側に謎の池があるようにみえますが、もともと境内にあったもの。
石かわ珈琲は、明月院の手前で道を折れ、谷を登っていった先にあります。明月ヶ谷(めいげつがやつ)…そのままですが、明月川が刻む谷なのです。蛇行する蓋暗渠に、両サイドは崖。遠くの方を走る車の音が、水路を通して響いてくるすてきな暗渠です。
お店はその崖の上にありますので、階段をのぼります。トレードマークにもなってます、階段。かわいいでしょ。
コーヒー豆保存缶(白)
高台にある店までの階段(本当は33段あります)と焙煎機の煙突をモチーフにしたオリジナルデザインです。
珈琲もおいしいんだけど、ケーキもおいしくて、あと夏に頂いたパフェが良かった。コーヒーゼリーと、ラムをきかせたコーヒーフラッペと、アイスクリーム。
横須賀・宍戸珈琲(京急線横須賀中央駅よりバス)
こちらは小さなビーンズショップ。真夏に、横須賀の坂道をヒィヒィ言いながら登ってたら見つけたお店。
軍港都市として、谷戸に入り込むように開発が進んだ横須賀は、街歩きがとっても面白い。防火帯建築、看板建築の商店街、池の跡の弁天さま、遊廓跡、宇東川緑道。体力さえあれば全部徒歩で回りながら宍戸珈琲にも寄れます(`・ω・´) 横須賀編はまとめたんだった。
豆は農園指定のシングルオリジンが10種類くらいだったかな。良グレードかつ、丁寧にハンドピックされた豆がグラム500円台。やっっすっ。ご主人も物腰柔らかなすてきな方です。
横須賀に住みたくなってきた。嘘です。
辻堂・27 coffee roasters (辻堂駅・藤沢駅よりバス)
こちらは住宅街のなかのビーンズショップ兼スタンド。
辻堂はテラスモールが出来てすっかりキラキラしていますね。工場撤退が相次いだ結果まとまった土地が空き、再開発の波が。
でも辻堂はもともと、駅の南側に、鎌倉方面と大山方面、藤沢宿方面への道がクロスする場所にあった村でした。そちら側を歩いていると、住宅街に埋没した商店街の跡や用水路跡、ひっそりと現役の銭湯を見ることが出来ます…
辻堂駅と27さんの間のあたり、辻堂元町商店会。
27さんは、商品展開も、見せ方も、面白いなぁと思わせるお店ですね。ブレンド・シングルともに豊富で、プレスで淹れて置いてくれているので、試飲しながら迷うことが出来ます。スタンドで飲むこともできるし、豆を買うと一杯サービスで淹れてくれるという手厚さ。
こないだは浅煎りの水出し珈琲をいただきました。珈琲を飲んでるのか紅茶を飲んでるのか分からないような、さっぱりびっくり。ニクいなあ。
都内はまた素敵なお店がありますが、あえて今回は神奈川で。
…なんだか自分の飲み食いで必死なのでほとんどお店の写真がありませんでした(とほ
そうそう、余談ですが、この辺に行くときは是非 かき氷 埜庵にも行ってくださいね。
埜庵さんには季節ハズレというものが存在しませんので、行かないと損です。これは秋限定の栗です。シェリー酒添え。めっちゃ寒かった。
桃園川
東京暗渠界の重鎮(?)桃園川。今更ながら訪問。
時間が限られていた為、高円寺〜中野坂上あたりを散策。
高円寺駅からスタート。南に行けばぶつかるだろうなと思い適当に歩いて行くと、そこだけもしゃもしゃ生い茂っていたので(草木が)すぐに「ああ、ここね」となった。
私は橋の跡が好きです。
お決まりの遊具。遊んでいる子供見たことないぞ・・・
にゃんこもいた。お向かいの飼い猫さんらしい。のんびり道ばたで毛繕い。
桃園川は昔は蛇行していたようですね。関東大震災後くらいの地図ではまっすぐになっているので、早い時期に整備されたのでしょう。下は明治時代。
暗渠らしい遊歩道で、よろしい。
次回はこちらに行きたい。暗渠カフェ・・・
こんなところに古民家カフェがー!次回は営業日に訪問しよう。
横須賀散策 4
宇東川緑道
さて、横須賀編ラストは、暗渠。
丘陵地を市街地化してきたという特性上、基本的に、暗渠だらけです。
これだけの河川がありましたが、ほとんどは道になってます。
どこの地点で撮ったものか忘れましたが
暗渠サインがたくさんあります。
そして、遊歩道も。
柏木田遊郭跡の傍あたりから、遊歩道がはじまり、衣笠駅前で開渠となって平作川に合流する。
桃園川並みに、THE 暗渠 って感じなので好きな人にはオススメ。 植え込みとか遊具の置き方が結構雑なので笑ってしまいます。
この道、そんなに広くなく、かつ車が入れないのに、両側はずーっと、こちら側を向いた民家が続くんですね。一体、横須賀市民はどんな生活を送っているのだろうか。
少しですが、こちらに整備前の写真があります。
それでは横須賀編はここまで〜
また行ったら更新します。
横須賀散策 3
上町
今度は横須賀中央駅から、三笠ビルとは反対側の大通り沿いを登っていく。
控えめに言ってクソ疲れる登り坂なので、バスで登ってから降りてくるほうが良いかもしれません。
そんな登り坂に、上町商店街はあります。昭和初期ごろに建てられたと思われるかわいい看板建築がごろごろしています。
逆に言えば、遺跡みたいな建築物がごろごろ残っているというのは、この商店街は衰退の一途を辿っているとも言える。「三浦・三崎の海産物を馬車で運んでいたころは、馬車の終点として大変賑わった」そうだから、鉄道網の整備やモータリゼーションによって交通の要衝としての役割は終えたのだろう。
坂を登りきると、続いて「池之端商和会」なる案内が。隣に弁天様。
アーケードがかかっていたらしいが、今は撤去されていて、閑古鳥が鳴いている商店街。酒屋が寂しげに営業していたな。
名前の通り、かつてはこの辺りに池があったようです。おそらくこの後歩いた宇東川の水源となっていた、池。弁天様はその湧水の名残なのでしょう。詳細は不明、弁天様の池が今も湧水なのかどうかも…
今昔マップより。
左側の地図にはきちんと描かれていて、池〜〜あった〜〜池〜〜ってなった。池のあたりがこの辺りの谷間の一番高い地点(何て言えばいいんだ?)なので、池から川がはじまっていたのでしょう。
そして海岸線の位置が全然違うだけでなく、池の右上に突き出ている岬、現在の地形には無いので、はて?となったのだが、このあたりの海を埋め立てた時に切り崩したらしい。すげえな。
で、しばらく県道沿いに進むと、宍戸珈琲があります。良心的なお値段に、ハンドピックされた良い豆。好きです。また行きたい。
柏木田遊廓跡
ここです。
今や何もありません。道が広いーー!!
一本逸れたところにある柏木田町内会と、穴守稲荷がかすかにその地名と名残を醸し出しています。数年前まで福助ホテルという界隈では有名な元妓楼があったそうですが。跡形もありませんでした。
つづく
横須賀散策 2
汐入〜横須賀中央
さて、ヴェルニー公園からひたすら歩いていくと、汐入駅と、横須賀芸術劇場、ショッピングモールみたいのなのもあるエリアが開けてくる。
「汐入」まさに、かつてはここに波が打ち上げられていたような地名である。
そして芸術劇場脇にはこんなものが。
ここも軍事関係の土地だったらしい。
劇場の裏からは、横須賀ベースにかけてドブ板通りと呼ばれる商店街が伸びている。かつてはドブ川に板をかけていたことに由来するそうだが、残念ながら暗渠感はゼロ。ミリタリーショップにアメリカンな飲み屋が立ち並ぶ。つまらん、退散!
お互いのすぐそばに、ハコモノ文化施設と米兵の庭があるもんだから、
夏の吹奏楽コンクール終わりのピカピカの高校生と、ごついタトゥー入りの米兵たちが同じエリアにいるのを見て ほぅ、横須賀すごいな、となった。
そのまま横須賀中央へ
駅前の三笠ビルがとても良い。というかこれを見たくて横須賀に行こうと思いたったのである。
商店街を包み込んだビル。裏からみるとガタガタだから、どうやって作ったのか気になる。誰か聞いてみて。
詳しくはこちら
横浜の長八ビルなんかは、上半分は廃ビル同然で半端ないオーラを放っているが、こちらの防火帯建築はかわいらしく街になじんでいる。二階部分の廊下も活用すればいいのに。
こちらが航空写真で見た三笠ビルの全貌。これがビルを名乗っているのが不思議である。
言いたいことは引用の記事が全て語ってくれているので、ここまで。